Building & Garden 建物・庭園

国際文化会館の庭園ならびに敷地は、江戸時代から幕末にかけて多度津藩(現香川県)藩主京極壱岐守の江戸屋敷であったものです。 明治初期に井上馨候爵(外務大臣)の所有となり、1887年(明治20年)4月、邸内に茶室八窓庵を移築した折、明治天皇、皇后、皇太后、各国大使をお迎えしてのお披露目が盛大に催され、その際九代目市川團十郎以下一流の役者により庶民の文化であった歌舞伎を初めて天覧に供し、これにより歌舞伎興隆の端緒を開いたといわれています。

その後、久邇宮邸(香淳皇后は、この邸でお生まれになりました)、赤星鉄馬邸、岩崎小彌太邸と変遷し、戦後は国有地となっていたものを国際文化会館が払い下げを受け今日に到っております。

1955年(昭和30年)に日本建築界の巨匠、前川國男、坂倉準三、吉村順三の三氏の共同設計により現在の本館(旧館)部分が完成しました。1976年(昭和51年)には前川國男氏の設計により本館の改修と西館(新館)の増築が竣工いたしました。 池辺に張り出した釣殿風の建物は平安時代の絵巻物風の様式を取り入れたもので、建物全体はこの庭との調和を図って建築されております。日本建築学会賞を受賞した本館(旧館)は、2006年8月に文化庁に「登録有形文化財」として認められました。

庭園

7代目小川治兵衛に作庭を依頼したもので、桃山時代あるいは江戸初期の名残りを留めている近代庭園の傑作として知られています。なお、当庭園は2005年に港区の名勝に指定されました。

建物の保存再生

本館建物は2005年に大規模な改修を施しましたが、日本のモダニズム建築を代表する名建築の外観や、庭と建物の伝統的なたたずまいは変えることなく保存されました。この取り組みは戦後の名建築の姿を今に残すものとして高く評価されております。

会館敷地の変遷

国際文化会館の敷地は、江戸時代から幕末にかけて多度津藩(現香川県)藩主・京極壱岐守の江戸屋敷であったものです。明治初期に井上馨候爵(外務大臣)の所有となり、その後、久邇宮邸、赤星鉄馬邸、岩崎小彌太邸と変遷し、戦後は国有地となっていたものを国際文化会館が払い下げを受けて今日に至っています。