Building & Garden 建物・庭園

前川國男、坂倉準三、吉村順三の3人の巨匠が共同で設計した唯一の建物で日本モダニズム建築の傑作として知られています。
建物の奥に広がる日本庭園は、わが国屈指の京都の造園家「植治」こと七代目小川治兵衛が作庭した近代庭園の傑作のひとつです。

庭園について

国際文化会館が擁する日本庭園は、1930年(昭和5年)、当時この土地に邸宅を構えていた岩崎小彌太が、わが国屈指の京都の名造園家「植治(うえじ)」こと7代目小川治兵衛に作庭を依頼したもので、桃山時代あるいは江戸初期の名残りを留めている近代庭園の傑作として知られています。
なお、当庭園は2005年10月に港区の名勝に指定されました。

写真:国際文化会館

小川治兵衛(1860-1933)とは
七代目小川治兵衛は、明治から昭和にかけて数々の名庭をてがけた庭づくりの匠。
17歳で江戸中期から続く京都の植木屋「植治」の養子となるが、ほどなくして先代が死去。独学で造園を学んだ後、1894年、南禅寺近くにあった山縣有朋の別邸「無鄰菴」の作庭を行う。東山を借景とし、琵琶湖疏水を引き込み浅い流れを配した庭園は、自然の景観と躍動的な水の流れを組み込んだ自然主義的な近代日本庭園の先駆けと高い評価を受け、西園寺公望、近衛文麿ら明治政府の重鎮たちから続々と依頼が舞い込むことになる。
国際文化会館の庭園は、1930年、当時この地に邸宅を構えていた三菱財閥4代目総帥岩崎小彌太が小川治兵衛に作庭を依頼したもの。現在、東京で治兵衛の庭を見られる場所は数少なく、その意味でも貴重な場所である

国際文化会館70周年記念短編ドキュメンタリー映画 第二弾
『A Place of Harmony』

国際文化会館

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