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-Geoeconomics地政学・国際関係・地域研究

2022.06.28

通商戦略の再構築(CPTPPプロジェクト)

- CPTPPプロジェクト戦略ペーパー エクゼクティブサマリー

ロシアのウクライナ侵略は、瞬く間に先進諸国を結束させ、ロシアに対する前例のない経済制裁措置の発動をもたらした。バイデン大統領は、ロシアによる侵略を「民主主義と独裁主義、自由と抑圧、ルールに基づく秩序と武力に支配された秩序との間の戦い」と表現し、自由主義諸国 (freedom-loving nations) に対し、戦いの長期化への覚悟を求めた…

CPTPPプロジェクト

米国と中国の内政・外交、国際経済法、国際政治経済、安全保障、日本の対中外交・対中ビジネスといった多角的な視点から議論を行ったうえで、通商秩序の再構築に向けて日本が今後採るべき戦略の5つの要素と、その実施を支える国内政策の課題を、戦略ペーパーの形で整理しました。

(画像提供:Shutterstock)

ロシアのウクライナ侵略は、瞬く間に先進諸国を結束させ、ロシアに対する前例のない経済制裁措置の発動をもたらした。バイデン大統領は、ロシアによる侵略を「民主主義と独裁主義、自由と抑圧、ルールに基づく秩序と武力に支配された秩序との間の戦い」と表現し、自由主義諸国 (freedom-loving nations) に対し、戦いの長期化への覚悟を求めた。一方、侵略直前のロシアとの「無限の友情」を誇示した中国は、ロシアの蛮行が次々に明らかになる中でも経済制裁への反対を貫いている。このような状況を受け、政治体制の違いを超えて全世界を包摂しようとした冷戦後の秩序構築の試みは失敗であり、価値を共有する国家による自由主義的秩序の強化に専念すべきだという議論が高まっている。

国際秩序とともに自由貿易体制も揺らいでいる。国家主義的政策を効果的に規律できない世界貿易機関 (WTO) は、弱体化が進んでいる。中国は、既存の国際秩序に挑戦する意思を明確にし、軍事外交面で覇権主義的な動きを強めており、その軍⺠融合戦略を念頭に、米国は、2018年以降、技術流出防止や米国内情報通信インフラの信頼性確保を目的とする各種貿易投資規制を次々に導入し、同盟国に協調を呼びかけた。中国は、地域的な包括的経済連携 (RCEP) に参加し、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)への加入を申請する一方で、経済的手を武器化して他国に圧力をかける経済的威圧を強めている。環太平洋パートナーシップ(TPP)協定離脱から 5 年、米国のアジア回帰がこれまでになく強く期待されていた中、2022 年 5 月に訪日したバイデン大統領は、日米豪印協議 (Quad) メンバー、韓国、ニュージーランド、ASEAN7カ国と共に、インド太平洋経済枠組み(IPEF)を立ち上げた。

本稿は、通商国家として発展してきた日本が、このような情勢を踏まえ、世界の安定と繁栄の基礎となる通商秩序の再構築に向けてとるべき戦略を検討した。

その前提として、TPPの二つの戦略的意義を再確認した。一つは、WTO 交渉の停滞に直面した日本が TPP に見出した通商戦略上の意義で、高いレベルの合意を受け入れた通商版の有志連合が、時代の変化に応じてルールをアップデートしていく、“a living agreement”(生きた協定)をWTOの外に作ることである。アップデートを駆動するのは、通商交渉と国内改革を車の両輪として活性化させる仕掛けである。この仕掛けが動き続ける前提は、「そこに適合できる同志のみ」を受け入れることである。TPP において WTO の過ちを繰り返すわけにはいかない。もう一つの戦略的意義は、参加してはじめて得られる高いレベルの市場アクセスが新規参加の誘因となり、「TPPが各国の経済改革の目標となり法の支配が及ぶ範囲が拡大し、基本的価値を共有する国々の経済のきずなが深まりその輪が広がることで、地域の安定に資する」ことである。参加メンバーが高いレベルのルールを実施することで、経済活動の基礎となる法的安定性、予見可能性が高まり、経済が発展し、人々の暮らしが豊かになるにつれて、人々の内発的な動機によって、結果として普遍的価値を共有する国・地域の輪が広がっていくことが期待される。しかし、ここでの有志連合の編成原理は、普遍的価値ではなく、法の支配である。日本が目指す通商秩序は、この TPP の戦略的意義が発揮されるものでなければならない。

この前提を踏まえ、日本のとるべき戦略の5つの要素とその実施を支える国内政策の課題を整理した。

第一に、法の支配を広げる仲間を増やすことである。普遍的価値は、日本の対外戦略の根幹にある。しかし、新しい通商秩序は、民主主義対権威主義といった単純なブロック化では機能しない。通商秩序は次のような重層構造で考え、レイヤーごとの参加基準を厳格に守ることで、法の支配を広げる仲間を増やすことを最優先すべきである。

まず、WTO は、ほぼ全世界をカバーし、FTA や EPA が実体規律と執行メカニズムの両面で事実上依拠する、通商秩序の基層である。特にその紛争処理機能、ルール形成機能をできるだけ早期に回復、強化する努力が欠かせない。

次に、CPTPP のような高いレベルのルールのレイヤーは、普遍的価値を共有する国々が中核となって牽引すべきものであるが、その発展のためには、民主主義といった政治的価値を共有しなくともルールに基づく国際秩序を維持強化していく意思を共有する仲間を広げていくことが欠かせない。

新たに発足したIPEFは、「デジタルやサプライチェーン、脱炭素など 21 世紀型の課題に対し、ルール作りと人材協力、インフラ支援をセットで講じていこうとする意欲的な取組」であり、市場アクセスを含まないが、ルールについては CPTPP と同様に高いレベルのレイヤーに位置付けられるものであろう。IPEF の充実に日米が連携して取り組むことは、加速する変化に対応し機動的にアップデートする仕組みを含め、世界の通商ルール改定のモメンタムを高める契機となることが期待される。

その上に、民主主義的価値観を共有していなければ成り立たないルールがあり得る。例えば、デジタル化が生活のあらゆる側面に及ぶようになり、各国が重視する価値の問題との関わりが生じるルールについては、共通化はより困難になる。それは、さらに限定された有志連合のレイヤーでルールを作り、守り育てていくべきものであろう。

このように異なる性格のルールを併存させ、各国・地域が、それぞれの制約の中で、自らの選択によって段階的に、より高いレベルのルールの枠組みに参加するインセンティブが働くような重層構造により、安定の維持と、ルールをアップデートし続ける契機を両立できる。

第二に、CPTPP への新規加入については、英国の加入を契機に示された基準(英国モデル)を先例として確立し、維持することである。高い水準を維持しルールのアップデートを続けることで通商交渉と各国の国内改革を車の両輪として活性化し、そのルールを世界に拡大するレバレッジを維持するという TPP の戦略的意義をCPTPP に継承するため、日本は、以下のような英国モデルの原則に従って粛々と対応するよう、締約国の結束を促す役割を果たすことが期待される。

① CPTPP のルール全体を受け入れ、ルールに適合しない国内制度がある場合には、適合するようにその制度を改革すること。
② これまでに合意したルールを遵守してきた実績により、加入後にルールを遵守し続ける意思と能力があると信頼できること。
③ ルールに基づく貿易システムにおいて、透明性、予測可能性並びに信頼性を推進するという明確なコミットメントを有すること。
④ 最も高い水準の市場アクセスの約束を提供すること。
⑤ 市場志向の原理を推進し、保護主義、不当な貿易制限措置の使用、経済的威圧に対抗するという志を同じくすること。
⑥ ハイスタンダードなルールをさらに前進させるという CPTPPの取組み、特にグローバルなデジタル・ルールの形成に貢献する意思と能力があること。

中国が CPTPP への加入を申請したことは、CPTPP が目指すものについて理解を促す機会であり、CPTPP ルールと国内制度の関係、遵守の意図、過去の合意に関する実績等について対話し、中国のどのような行動が中国に対する信頼を高めることにつながるのかについて、CPTPP 締約国の共通認識を伝えることが、今後の中国との関係の安定的発展に資するであろう。

他方、中国については、国有企業、労働、デジタル・ルールなどについて課題がある。さらに、総体国家安全観の下、幅広い政策において国家安全が優先し、各分野の政策が影響を受けることとなるため、安全保障例外の安易な援用が懸念される。中国の国家資本主義的な制度の根本的な変革がないまま、巨大市場の魅力を理由にCPTPP加入を認めれば、将来に大きな禍根を残すであろう。

第三に、同志国と連携し経済的威圧に対抗する枠組を作ることである。秩序の構築には時間がかかる中、足元で秩序を壊す動きを止めることが急務である。2022年5月に成立した日本の経済安全保障推進法に規定されたサプライチェーンの強靭化、基幹インフラが提供するサービスの安定確保のための措置は、経済的威圧を受けても耐えられる強靭性を備えることを目的としている。この取組の実効性をさらに高めるためには、国際協調が欠かせない。IPEF がサプライチェーンの強靭化を重要な要素としているのは、同志国間の協力によって経済的威圧に備える狙いがある。欧州委員会は、2021年12月、域外国によるEU及び加盟国に対する経済的威圧について、措置の停止を求めて働きかけ、相手国が応じない場合には対抗措置を発動できるようにするための規則案を発表した。経済的威圧に対抗する同志国の枠組の要素としては、経済的威圧行為を共同で非難する、痛みを分担する、共同での対抗措置を備えるなどが挙げられている。同じ問題意識を持つ各国と連携し、WTO との関係に留意しつつ、経済的威圧を抑止する効果的な方策を検討すべきであろう。

第四に、CPTPPとEUの連携を強化することである。岸田首相は、「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」という危機感を背景に、G7 と協調して制裁など毅然とした対応を実行し、東南アジア諸国には国際社会の結束に向けた理解と協力を呼びかける一方、欧州諸国にはインド太平洋地域への関心と関与を一層強めるよう精力的に働きかけてきた。次になすべきは、欧州諸国の関心と関与の基礎となるインド太平洋地域との経済連携の強化である。

CPTPP が高いレベルのルールを世界に広げていく上で、普遍的価値を共有する EU は、理想的なパートナーである。EU の CPTPPへの加入を追求するべきだという議論もある。現実には、EU は、個人データの保護を基本権憲章上人権として保障しているため、経済上の連携に関する日本国と欧州連合との間の協定(日 EU EPA)を含め、データの自由流通に関する規律を EPA に含められていないなど、CPTPP ルールと整合しないものがあり、これらについてEU 側が制度を変更することは現実的ではない。しかし、普遍的価値を共有する国・地域同士であれば、ルールの構造が異なっていても、その違いを橋渡しできるはずである。CPTPPとEUは、新しい通商秩序の構築に向けて大胆な将来像を描き、それを実現する創造的な方策を見出すことが期待される。まずは両者の対話の枠組を作り、可能な分野で連携・協力するところから始めるよう、日本が率先して取り組むべきであろう。

第五に、米国のアジアにおける経済的な関与の維持強化に粘り強く創造的に取り組むことである。アジアでは2022年初頭にRCEPが発効した。その締約国は地理的に隣接している。この枠組の下で域内の相互依存関係は必然的に高まっていく。TPPのようなさらに高いレベルの経済統合に参加していない国・地域は、他の条件が一定であれば、貿易代替効果によりそのプレゼンスが低下していく。その経済的打撃は、結局は立場の弱い人々に強く及ぶ。「中間層のための外交」と TPP への復帰は、本来は全く矛盾せず、むしろ相互に補強し合うものである。

他方、米国政府当局者の反応は、米国内の政治的現実は TPP 交渉当時とは全く変わってしまった、経済環境も大きく変わっており、IPEF で通商ルールをアップデートすることに集中したい、というものである。岸田首相は、米国が IPEF によって「インド太平洋地域への経済的関与を再び明確にした」ことの戦略的意義を高く評価し、最大限の貢献を表明している。日本としては、その際、アジア諸国にとって IPEF の魅力を高める上で、やはり米国への市場アクセスが重要であることを伝え、米国の努力を働きかけ続けるべきであろう。

通商協定への米国の復帰は、決して不可能なことではない。ウクライナを侵略したロシアに対する厳しい対抗策は、米国において超党派の支持を得ている。中国に覇権を譲らないことについて超党派のコンセンサスがあれば、労働者と地域社会がグローバル競争に勝てるための大規模な投資と国際秩序を守るための通商協定の締結を、前後関係を厳格にせず(協定の交渉・発効には時間がかかる)同時並行的に進めることについて、米国内の政治的合意が実現できる道はいずれ必ず開けるであろう。

日本としては、米国内で TPP 復帰、その前提としての市場アクセスを含む通商交渉が真剣に検討されるようになるために、腰を据えて、できることは全てやる、そのための体制を整えるべきである。例えば、バイデン大統領が選挙期間中に述べた、米国が TPP に復帰するに当たって必要とされる再交渉はどのようなものか、米国側は具体的にどのような変更が必要と考え、それはアジア諸国ではどのように受け止められるのか、といった議論を、交渉上の立場に縛られない民間で行うことは、復帰を現実的に考える具体的な対話の端緒となる。

また、貿易によって影響を受けた国内産業や地域に対する支援策、雇用調整を円滑にするための人材支援などの国内政策についての政策対話・協調も検討課題である。岸田総理は、1 月の日米首脳会談において、バイデン大統領に「新しい資本主義」の考え方を説明し、両首脳は、次回首脳会合で、持続可能で包摂的な経済社会の実現のための新しい政策イニシアティブについて議論を深めていくことで一致したとされている。これは、まさに国内で立場の弱い人々が変化への対応力を高め、経済を自由貿易と両立できる強靭な体質に変えていくことに資するであろう。

最後に、日本として、以上の戦略を遂行し通商秩序の形成を主導する基礎となる国力を高めることである。岸田首相は、「権威主義的体制による厳しい挑戦にさらされている自由主義、民主主義を守るためには、我々自身が強くならなければなりません。そのために、新しい資本主義を通じて、資本主義をバージョンアップさせる。」と述べている。岸田首相が 2022 年 5 月、ロンドンで披露した成長戦略の要素は、いずれも日本にとって重要なテーマである。これまでの関連する取組の中で十分な成果が上がっていないものについては、その根本的な原因を解明し、それを踏まえて取り組む必要がある。日本政府は、時代の変化に対応して新たな課題に取り組んできたが、変化が加速し不確実性が高まる中、戦略の構想とともに、その立案から実現に至るガバナンスを再構築する必要がある。

冷戦終焉後、国際秩序は空気のようなものであった。各国とも、秩序が安定して機能することが当然であるかのように、その恩恵を受けながら、その軋みに対し鈍感であった。ロシアのウクライナ侵略は、国際秩序の根幹を揺るがし、世界を目覚めさせた。岸田首相が述べたとおり、国際社会は今「歴史の岐路」にある。我々の選択は明確である。国際秩序の安定を守り、より良く機能させるために変革していく。通商戦略においては、法の支配を尊重する輪が広がるような重層構造の秩序を構築するとともに、経済的威圧を抑止する仕組みを用意することである。ここで戦略として挙げたものは、いずれも容易な仕事ではない。アジア諸国は、中国との関係が悪化するリスクを取ることを躊躇している。どこまで各国に「法の支配」陣営にコミットするメリットを実感させられるかが今後の課題である。

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